No.25 (祭座新聞 第二十七、2006年1月掲載)

和太鼓祭座    


 維新の群像の中で、追われる立場だった江戸幕府15代将軍、徳川慶喜

の「その後」はあまり知られていない。どちらかというと明治天皇の「その後」

の方が知られているが、2人は同じ時代に生きた男たちなのだ。

将軍といえば子孫を残すのが最も大切な仕事だろうが、この人は天下人とい

うにはあまりにマメで、あまりに器用な、今風にして言えば貧乏性の人物だった。

何でも自分でやり、何でも自分で出来るのだ。簡単な大工仕事などは全部やった

そうである。しかも、なかなか趣味人で、退位して静岡に住んでからは醤油・

油絵・写真と次々に趣味を増やし、食べるものにも不自由せず悠々自適の毎日

だった。もちろん、元将軍だけあって夜の生活もお盛んで、二人いた側室に11人

の子供を生ませ天下人の実績をきっちり残している。昼は趣味を堪能して、生活

の心配が無く、夜も心置きなく過ごすという楽しさいっぱいの後半生だったので

さぞかし長生きしたのではないかと思われる、そう、その通り!! 明治天皇

(60歳没)をはるかに超える、77歳までその楽しさいっぱいの人生を送り、

維新の群像の誰よりも長生きしたのだった。やはり昔も今も、好きな事を目一杯

味わい、ストレスを感じないことが何よりも長寿の秘訣なのかもしれない...。